靖国参拝違憲訴訟の会・東京
 


 

最高裁の上告棄却決定に抗議する

 

 さる3月22日,最高裁第1小法廷は,小泉純一郎前首相,石原慎太郎都知事による靖国神社参拝の違憲違法性を問う上告審において,当訴訟団の上告および上告受理をそれぞれ棄却,不受理とする不当決定を下した。

 本上告審においては,当訴訟団は,昨年8月31日に上告理由書および上告受理申立理由書を提出した のに続き,本年2月28日には上告理由補充書を提出し,最高裁に対し慎重公正な審理を切に求めていた。更に,4月6日には原告団意見書を提出することをあ らかじめ告知しており,担当者と面会する予約も取り付けていたのであった。それにもかかわらず,最高裁は,全体でわずか9行のまったく中味のない法文の上 での形式論で,一方的に当訴訟団の主張を門前払いしたのであって,まさに暴挙と言うほかない。

 当訴訟団は,上告理由書等にて,行政が違憲違法な暴走を続けている今こそ,国民から負託された司法 の役割を最高裁が発揮すべきであると説いた。あわせて,昨年6月の大阪訴訟・最高裁判決が,崇高な責務をないがしろにし,憲法判断に背を向けたことが小泉 前首相の8・15靖国神社参拝を後押しする結果となったことを指摘した。そもそも,憲法20条3項の政教分離規定は,国家神道と政治権力との結びつきを断 ち切るためにこそ規定されたことからすると,首相・都知事による度重なる靖国神社参拝に司法が沈黙を続けることは,憲法の規定の死滅化を意味すると説いた のであった。

 また,戦前,靖国神社が軍国主義の精神的支柱となりアジアをはじめとする諸外国への侵略戦争や植民 地支配に荷担してきたこと,戦後においても従前の歴史認識を改めていないことに鑑みれば,靖国神社への参拝は,まさに皇国史観の公認につながり,軍国主義 への地ならしとなり,憲法9条の定めた恒久平和主義の理念に真っ向から反するとも説いたのであった。そして,首相や都知事が靖国神社参拝を強行すること に,アジアをはじめとする諸外国が反発し,日本が孤立している実情も指摘した。しかし,最高裁は,この点についてもまったく一顧だにしなかった。

 当訴訟団は,2001年12月の提訴以来,法廷において憲法違反を導く論理を緻密に構成してきたほ か,加害行為および被侵害利益について,また,戦没者遺族や宗教者をはじめ,平和を希求する市民などからなる原告の被った具体的な損害について立証を重ね ることに尽力してきた。そして,それと同時に,法廷外でのたたかい,すなわち,マスコミをはじめとする報道機関に働きかけ,韓国の原告らと共闘して世論を 国際的に盛り上げるとともに,靖国神社のもつ特質を暴いていくことにも力を注いだ。その結果,国の内外を問わず靖国神社参拝の問題点や違憲性が広く認識さ れるに至った。また,他の訴訟団では,2件の明確な違憲判断が導かれたのであった。このことは当訴訟団を含めた全国の訴訟団の闘いの成果として率直に評価 できよう。

 当訴訟団は,最後まで憲法違反の事実に目をつぶったままでいた最高裁の怠慢な姿勢に厳重に抗議をす ると同時に,今後とも首相や石原都知事の靖国神社参拝に反対する広範な市民と協力連帯して,政教分離原則および反戦・平和主義の理念の徹底をめざして全力 で闘っていくことをここにあらためて宣言する。 






  大阪高等裁判所で小泉靖国参拝違憲判決!
(2005.9.30)  判決文はこちら

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靖国問題の論点

 靖国参拝は違憲が司法の常識
以下をごらんになれば一目瞭然です。公的参拝が明言された中曽根元首相の靖国参拝については複数の高等裁判所が違憲(または強い疑い)の判決をいい、確定しています。すなわち、「公式参拝は違憲」はすでに高裁レベルで安定して確定しているわ けです。小泉裁判でも、「公的かどうか」が争点の一つですが、首相の公約としてあれだけ堂々と参拝しているにもかかわらず、それを私的というのは常識的に 言ってもあまりに無理な話で、当然のことながらこれまで多くの判決がそれを公的と認めていますし、多くのマスコミの社説も同様の見解を述べています。裁判 所がちゃんと憲法判断にまで踏み込めば、違憲を言わざるを得ない。憲法判断に踏み込まなかった判決も、「公的」と判断したものについては、過去の判例から言って実質的に違憲を言ったに等しいとも言えます。それが司法の常識です。石原都知事はだから「憲法違反で結構」というおそろしい開き直りをせざるを得ません。
小泉首相の靖国参拝をめぐる違憲訴訟判決
裁判所 判決日 賠償請求 公務性判断 憲法判断 上 訴
大阪地裁(一次) 04.02.27 棄却 公的 せず 原告控訴
松山地裁 04.03.16 棄却 判断せず せず 原告控訴
福岡地裁 04.04.07 棄却 公的 違憲 違憲確定
大阪地裁(二次) 04.05.13 棄却 私的 せず 原告控訴
千葉地裁 04.11.25 棄却 公的 せず 原告控訴
那覇地裁 05.01.28 棄却 判断せず せず 原告控訴
東京地裁 05.04.26 棄却 判断せず せず 原告控訴
大阪高裁(一次) 05.07.26 棄却 (地裁否定せず) せず 原告上告
東京高裁(千葉訴訟) 05.09.29 棄却 私的 せず(公的なら違憲の疑い)  
大阪高裁(二次) 05.09.30 棄却 公的 違憲 違憲確定
高松高裁 05.10.05 棄却 判断せず せず  
松山地裁 06.3.15 棄却 判断せず せず 原告控訴
総合評価 損害認めず 公的参拝認定が
多数派
違憲判断のみ(合憲判断なし)
そのほか、憲法判断に踏み込んだ関連靖国訴訟
裁判 判決日 憲法判断 状態
岩手靖国住民訴訟 91.1.10(仙台高裁) 違憲 違憲確定
中曽根公式参拝九州違憲訴訟 92.2.18(福岡高裁) 継続すれば違憲 違憲確定
中曽根公式参拝関西違憲訴訟 92.7.30(大阪高裁) 違憲の強い疑い 疑い確定

ピンクは原告勝利内容 白色は判断回避 灰色は被告側主張が認められた内容 

 「靖国参拝止めるべき」 がマスコミの常識

靖国参拝に反対するのは中韓のみと事実に反することを言い立てて(注)、「反中国」 「反韓国」の民族感情をあおりながら、自らの参拝を正当化しようとする小泉首相。これに対して新聞の社説やコラムはほとんどが靖国参拝に反対の立場をとっ ています。以下、ほぼ唯一の例外をご紹介しましょう。
注:たとえば…シンガポールのリー・シェンロン首相は日本人記者団に対して以下のように述べています。で銃剣で突き殺されたなんの罪もない乳幼児たちなど、あの侵略戦争の悲惨な被害者は、東南アジアにも沢山存在しているからです。
「日本の占領を経験したアジアの多くの国々の観点からは、戦争犯罪人も合祀(ごうし)する靖国神社への参拝は多くの不幸な思い出を想起させる。日本が戦争 中に悪事を行ったということを完全には受けいれていない意思表示と多くの人は考える」(「日経」05年5月18日)

【産経新聞コラム・産経抄】060111

朝日新聞夕刊のコラム「窓」から貴重な事実を教えていただいた。昨年十月の小泉首相の靖国神社参拝について、「もろ手をあげて支持したのは産経だけである」そうだ。

 なるほどさもありなん。『論座』二月号では、読売新聞の渡辺恒雄主筆と朝日新聞の若宮啓文論説主幹が対談して、「首相の参拝反対」と「新たな追悼施設の建設」で意見の一致をみていた。発行部数一位と二位の新聞の共闘に意を強くしたわけではあるまいが、中国がまたとんでもないことを言い出した。

 (中略)

 「窓」のおかげで、そんな意見が新聞界では少数派だとわかった。それがどうしたというのだ。そもそも多数派を誇るなんて、少数意見の尊重を謳(うた)ってきた朝日新聞らしくもない。


 判決に見る小泉首相の負け方

自分に不利な判決が出ても平気で「自分が勝った」と言い続ける不思議な首相、小泉純一郎。論理を無視する人に対抗するには事実をたんたんと確認し、それにまどわされないことです。以下、ほんの一例です。
違憲判決下る!
 
2004年4月7日
 福岡地裁

 これはもう何も説明の必要がありません。上記のようにこれまで靖国関連裁判で出された憲法判断は、すべて「違憲(またはその疑い)」です。
 ただし、この国の首相は自分の国の司法判断を、平気で無視する人であるという重大な事実は銘記しておきましょう。彼はこの判決に対しても「何故憲法違反 かわからない」というコメントをしています。この問題だけに限りません。わからないのではなく、単に自分に都合の悪いことは分かろうとしないだけのことで す。
「人生いろいろ」発言に象徴されるように、一体法律は守らなくてもいいというのが彼の信条なのでしょうか?しかし、彼はたしか法治国家の首相ではないでしょうか?そんなでたらめをこの社会は許してもいいのでしょうか?
靖国参拝
公務を認定
2004年11月25日
千葉地裁

 小泉首相は裁判では「私人として行ったのだから問題ない」と逃げを打っています。なぜなら、公的に行ったと言えば、違憲判決が出やすいことを良く知っているからです。しかし、これは本当にビックリするような大嘘です。
 たとえば小泉首相は国会の予算委員会で管直人議員が8月15日の靖国参拝を行わないことや国債問題などについて、首相としての公約違反ではないか、と追求したのに対し、「 確かに、その通りにはやっていない。 」と「公約を破った」ことを公言しています。もちろん、8月15日以外に行くことも、首相としての公約に基づく行為であるという認識は明らかです。
 大変に困ることは、どれほど客観的に否定しようもないことであっても、小泉首相はいくら指摘されても、自分の言動の矛盾について全く平気であることです。論理が通用しないということは、まともな議論が成り立たないことです。
 しかしながら、さすがに裁判ではこれらの行為が公務であったことをはっきりと認定する判断がいくつか出ています。公務を否定した判決は一つだけです。
 そういうわけで、彼の主張から言えば、明らかに重要な点で敗北しているにもかかわらず、彼は平気で「私が勝った」と言う。本当につくづく変わった人です。
でもこの人が日本の代表ではなかったでしょうか?

 靖国は単に戦死者を慰霊する場所ではありません
 靖国神社は戦争の責任を欧米を初めとする諸外国になすりつけ、侵略をアジアの解放の闘いとする独自の価値観で死者を選別し、本人や遺族の意志は全く無視して強制的に合祀してその価値観で「褒め称え」、次の世代の人々にも同じような死を求める為の精神的な軍事施設です。
 よく誤解がありますが、「靖国神社は戦争で亡くなった方たちを慰霊する場所」とは言えません。第一に、仮に遺族が祀られることを熱望したとしても、決して祀られない戦死者がいます。

 西郷隆盛さんや西南戦争でなくなった薩摩の兵士。戊辰戦争で亡くなった白虎隊など幕府側の人々。こういう人たちは「明治政府(天皇)に逆らったから」決して靖国神社には祀られません。靖国が「日本のために死んだ人を祀る」という宣伝は、ですから真っ赤な嘘です。西郷さんも白虎隊の子どもたちも、みんなある意味では「日本のために死んだ」のです。靖国はそれを「天皇の政府に逆らったかどうか」で選別します。

 天皇に逆らわず、あの戦争で犠牲になった人でも、原爆でなくなった一般の方たちや空襲でなくなったたくさんの人たちも祀られません。「天皇のために自ら進んで命を落とした」人ではないからです。もちろん、日本の侵略の犠牲者の方たちは(当然望みはしないけれど)祀られる資格を持ちません。「戦争の犠牲者を悼み、平和を願う場所」という言い方が、いかに事実に反し、白々しい嘘であるかが分かります。

 逆に遺族が全く望まないのに、無理矢理祀られ続ける人たちが居ます。キリスト教や仏教などへの篤 い信仰によって、「国家神道の神」として扱われることをどうしても許せない遺族の人たちがそうです。戦後にあの戦争が侵略戦争であったことを知り、その侵 略の先兵として愛する家族を失ってしまったことに、言いようのない苦しい思いを抱く遺族の方たちも、侵略を反省するどころか讃える靖国に合祀されることに 耐え難い思いです。

 ある意味でもっとひどいのは韓国や台湾出身の元「日本兵」の戦死者です。かつて植民地にされて徴兵され、異郷の地で「侵略者」として死ななければならな かった人々。本当は被害者なのに加害者にもさせられ、そして家族を殺されたその苦しみは想像を超えます。その侵略の精神的な柱だった靖国神社に、侵略者の象徴のような東条英機らと一緒に神にさせられる。旧植民地の多くの人々にとって、これほどの侮辱、これほどの屈辱はないのです。

 ではどうして望まない人まで祀られてしまっているのでしょうか?それは靖国神社が遺族に許可を求めることなく、勝手に合祀を行っているからです。しかも 遺族から問い合わせない限り、合祀をしたことの通知さえありません。遺族が自分で合祀を確認し、どれほど一生懸命に「取り消し」を要求しても、靖国神社は ずっと拒否し続けます。つまり、勝手に祀っておきながら、決して取り消さない、これは「強制合祀」なのです

 そして靖国神社は、侵略を行った戦前の思想を讃え、そのような国家思想に殉じてこれからも日本国民が喜んで死に赴くこための教育の場でもあります。靖国の軍事博物館である「遊就館」の名も、「すぐれた人(天皇のために亡くなった人)に学ぶ(その後に続く人間となる)」という意味からとられています。遺族の気持ちを踏みにじり、強制合祀を続ける靖国神社。小泉首相はその靖国神社に「平和を祈念するため」と言って参拝しているのです。

 以下に戦前の様子のほんの一端を見てみましょう。戦前の政府公報誌には、こんなことが書かれていたのです。これが靖国という宗教に国家が関わるということの意味であり、またこのような関わりを求めるのが靖国の本当の姿です。
戦前の政府による広報誌に掲げられた言葉
(写真週報第266号)
靖国に遺児を集め、「決してお父様の名を恥かしめぬやう」諭す、A級戦犯となった東条英機。
  靖国は父のように「おまえも国のため」に死ねと言います。だがそこでいう「国のため」の中身が、実は侵略者として戦地に赴くことだったのです。無謀な戦争 で、内外に膨大な死を生み出し、そして戦前の日本は「侵略国家」としてぼろぼろに敗北した。その失敗を讃え続けるのが靖国神社であり、その思想に殉ずるの が「国のため」の中身なのです。それは今も一切変わっていません。

 もし再び「国家(実は時の政権の意志にすぎない)」が、たとえばアメリカの言いなりになって、国連を無視した侵略のために私たちに死を求めた場合、あた なはそんな「国家のため」に死にますか?それとも戦前に何人もの日本人が「非国民」とののしられながら命がけで侵略に反対したように、自らの良心に基づ き、それを拒否することが出来ますか?靖国神社は、そういう良心を否定するための、国家によって作られた精神的な軍事施設だったのです。そんな靖国の精神 を、あなたは今再び国家によって日本の精神的柱にさせたいですか?


新 刊 紹 介

台湾で、朝鮮で、中国で、シンガポールで……
侵略の宗教的支柱として、ミニ靖国が建てられていった。
「神社は宗教ではない。国家儀式である」との理由で
植民地の人々はその宗教を否定され、
強制参拝にかり出される。
日本で多くのクリスチャンが参拝を強制されたように。
今も靖国参拝国家行事としようとする勢力の
思想的な源泉がここにある……



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(アジア文庫)

控訴審第3回裁判 


日本国憲法第二〇条
信教の自由、政教分離

  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

  (2)何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

  (3)国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
   

日本国憲法第九九条
憲法の尊重擁護義務

  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ


市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)第十八条(部分)

何人も、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由を侵害するおそれのある強制を受けない。

 更 新 情 報 

戦前の靖国神社 招魂式


内容案内
訴訟Q&A この訴訟についての簡単な説明をQ&A形式で。
裁判ニュース
前回公判の報告、次回公判の予定など。
関連裁判のスケジュールもあります。
訴状など 訴状や準備書面などを掲載。
大阪ほか全国の靖国訴訟や、関連裁判の訴状などもあります。
各地の訴訟 大阪、四国、九州、千葉の公式参拝違憲訴訟や
関連裁判についてご紹介します。
関連資料
小泉談話や抗議声明、資料検索HPへのリンクなど、
靖国問題を考えるための関連資料を集めます。
マスコミ報道
1994年以降、日本のマスコミで報道された靖国情報のインデックスです。
協力のお願い この訴訟の趣旨に賛同して下さる方に、
さまざまな形での協力を呼びかけます。規約もあります
リンク集 靖国や戦争責任問題などに関わるホームページをご紹介しています。
事務局宛メールはこちらから

このHPは基本的にリンクフリーですが、リンク時にはご一報下さい。




戦前の靖国神社 清祓