九州・山口訴訟判決(福岡地方裁判所:2004年4月7日)
平成16年4月7日判決言渡し 同日原本交付 裁判所書記官
平成13年(ワ)第3932号 損害賠償等請求事件判
当事者の表示 別紙当事者目録記載のとおり
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
事 実 及 び 理 由
第1 請求
被告らは,原告それぞれに対し,連帯して10万円を支払え。
第2 事案の概要
本件は,原告らが,被告らに対し,内閣総理大臣である被告小泉純一郎がその
職務として靖国神社に参拝したことは政教分離規定等に違反する違憲行為であ
って,これにより原告らの有する信教の自由,宗教的人格権及び平和的生存権
が侵害され,精神的損害を被った旨主張して,被告国に対しては国家賠償法1
条1項に基づき,被告小泉純一郎に対しては民法709条に基づき,それぞれ損害
賠償を求めた事案である。
1 前提となる事実(争いのない事実及び後掲証拠により認められる事実)
(1)当事者
ア 原告らのうち別紙当事者目録記載番号1から10までの原告らは,いずれも第2
次世界大戦における戦没者の遺族(以下「戦没者遺族」という。)である。
イ 原告らのうち同目録記載番号11から58までの者は,いずれも仏教の僧侶,門
徒又は信徒である。
ウ 原告らのうち同目録記載番号59から130までの者は,いずれもキリスト教の
神父,牧師又は信徒である。
エ 原告らのうち同目録記載番号131から209までの者は,いずれも特定の宗教や
信仰を持たない者である。
オ 原告らのうち同目録記載番号210及び211の者は,いずれも在日コリアンであ
る。
カ 被告小泉純一郎(以下「被告小泉」という。)は,内閣総理大臣である。
(2)被告小泉による靖国神社参拝
被告小泉は,平成13年8月13日,靖国神社に参拝した(以下「本件参拝」とい
う。)。
2 争点及び当事者の主張
(1)原告らの被告小泉に対する本件訴えが訴権の濫用に当たるか否か。
(被告小泉の主張)
原告らの被告小泉に対する本件訴えは,被告小泉が一人の自然人として信教の自
由を実現するために行った本件参拝を違憲,違法と断じた上で損害賠償を求めた
ものであり,訴訟の名を借りて,被告小泉の有する信教の自由を制限しようとす
るものであるから,訴権の濫用として不適法である。
(原告らの主張)
原告らの被告小泉に対する本件訴えは,被告小泉が内閣総理大臣の職務として行
った本件参拝を違憲,違法である旨主張して損害賠償を求めたものであるから,
訴権の濫用に当たらず適法である。
(2)被告らが原告らに対して損害賠償責任を負うか否か。
(原告らの主張)
ア 本件参拝の違憲性
(ア)靖国神社の性格と役割
靖国神社は,明治時代に国家神道の成立とともに国家神道の頂点に位置するもの
として創建されたものであり,天皇のために戦死した者を勲功顕彰するための宗
教的施設であった。靖国神社は,日清戦争及び日露戦争を機に,戦死者を英霊と
して慰霊顕彰し,天皇制への帰依を強化する施設としての機能を発揮し,軍国主
義の生成及び発展についての精神的支柱としての役割を果たすとともに,戦争完
遂のために戦死を美化する宗教的思想的装置として極めて重要な役割を担った。
第2次世界大戦後(以下「戦後」という。),靖国神社は宗教法人となったが,
国家神道の思想を堅持しており,戦死者を神として崇めることにより,戦死を
空襲などによる戦災死などとは明確に区別し,戦死を気高いものとして美化し
ている点において第2次世界
大戦前(以下「戦前」という。)と何ら変わるところはなく,戦前の国家神道的
性格及び軍国主義的性格を継承している。
(イ)憲法20条3項(政教分離規定)違反
被告小泉は,靖国神社本殿において,神道式のお祓いを受けた後,同神社の祭
神である英霊に対し,一礼して参拝した。同神社本殿は,同神社が神として信
仰する英霊が祭られており,これに対する畏敬崇拝の行為をなす場所であるこ
と,被告小泉は,同神社本殿において,身を清めるという意味での神道方式の
お祓いを受けたこと,二拝二拍手一拝という神道方式の礼拝ではないが,一礼
して祭神である英霊に対して畏敬崇拝の心情を示したことなどからすれば,本
件参拝は宗教的活動である。そして,国及びその機関は,いかなる宗教的活動
もしてはならない(憲法20条3項)のであるから,本件参拝のようないわば国
家自身が行ったに等しい宗教的活動については,いわゆる目的効果基準は適用
されず,その活動の目的及び態様がいかなるものであっても,憲法20条3項に
抵触し違憲となる。 仮に,目的効果基準を採るとしても,本件参拝は,靖国
神社が神として信仰する英霊に対して畏敬崇拝する心情を示すという宗教的意
義を有し,本殿という畏敬崇拝の対象である英霊が祭られた場所で行われてい
ること,一部神道方式に沿った行為が行われていること,一礼式の参拝行為は
神道方式に沿ったものではないが,英霊に対して畏敬崇拝の心情を示す行為で
あることに代わりはないことからすれば,本件参拝は,靖国神社が国家の宗教
である,又は国家が靖国神社を特別に保護しているとの認識を与えるものとし
て,靖国神社を援助,助長するものであるから,本件参拝は憲法20条3項の禁
止する宗教的活動に該当する。
よって,本件参拝は憲法20条3項(政教分離規定)に違反し,違憲である。
(ウ)信教の自由及び宗教的人格権侵害(憲法20条1項前段)の違憲性
原告らは,憲法20条1項前段により,信教の自由及び日常の市民生活において平
穏かつ円満な宗教的生活又は非宗教的生活を享受する権利である宗教的人格権が
保障されている。本件参拝は,国の機関である内閣総理大臣が特定宗教である靖
国神社と結びつき,これに関与する行為であり,国やその機関の権威をもって,
原告らに対して同神社への信仰を強制し,同神社を信仰しない原告らの信教の自
由及び宗教的人格権を侵害したものであって,違憲である。
(エ)平和的生存権(憲法前文,9条)侵害の違憲性
原告らは,憲法前文及び9条によって,全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏か
ら免れ,平和のうちに生存する権利である平和的生存権が保障されている。
本件参拝は,靖国神社という戦前の全体主義的な政治的象徴を承認,称揚,鼓
舞するという行為であって,憲法の定める平和主義の大原則に違反し,原告ら
の有する平和的生存権を侵害したものであって,違憲である。
イ 原告らに対する権利侵害
(ア)政教分離規定(憲法20条3項,89条)の保障する人権に対する侵害
憲法20条3項,89条の政教分離規定は,戦争の悲惨な体験から,国家と神道が
結びつくことを徹底的に排除することにより,国民に対し,何の侵害も受ける
ことなく,心のままに不安なく信仰を貫徹できる自由を保障し,信教の自由に
対する直接的間接的な強制又は圧迫から国民を保護するための規定である。し
たがって,国家及びその機関が政教分離規定に違反する行為をした場合,その
行為が直接的な強制であるか間接的な強制であるかを問わず,同規定が保障す
る人権を侵害するものである。本件参拝は,前記のとおり,政教分離規定に違
反する行為であるから,同規定が保障する原告らの前記人権を侵害したもので
ある。
(イ)信教の自由(話法20条1項前段)に対する侵害
信教の自由は,特定の宗教を信仰すること又は信仰しないことを強制されない
自由を含んでいる。そして,このような自由は,直接的物理的に強制的な圧迫
干渉がなくとも侵害され得るものである。
本件参拝は,前記のとおり,国やその機関の権威をもって,原告らに対し,靖
国神社への信仰を心理的に強制したものであり,同神社を信仰しない原告らの
信教の自由を侵害したものである。
(ウ)宗教的人格権(憲法20条1項,3項)に対する侵害
宗教的人格権は,政教分離規定により,又は信教の自由の一内容として憲法上
保障されている人権であり,また,仮に憲法上の保障が及ばないとしても,少
なくとも民事上又は国家賠償法上,法的に保護すべき人格的利益である。本件
参拝は,仏教,キリスト教の信者又は無宗教者である原告らが,国家神道によ
り精神的圧迫を受けない平穏な環境の下で,宗教的活動をし,又は無宗教者と
して生活することを妨げ,原告らそれぞれが貫いてきた信教ないし無宗教の世
界観及び歴史を根底から否定し,原告らに対して圧迫感,屈辱感,恐怖感及び
不安感等の精神的苦痛を与え,原告らの宗教的人格権を侵害したものである。
(オ)平和的生存権に対する侵害
本件参拝は,原告らに戦争被害を再体験,想起させ,原告らの平和を希求する
思いを蹂躙するものであって,原告らの平和的生存権を侵害したものである。
抑 権利侵害の個別的内容
a 戦没者遺族である原告ら
本件参拝は,戦没者の死の意味をその道族に対して強制するものであり,本件
参拝によって,戦没者遺族である原告らは,他者からの干渉や介入を受けずに
静譜な宗教的又は非宗教的環境の下で,それぞれの敬愛追慕の念により,肉親
の死を意味づけ,肉親らを慰霊追慕する自由を侵害された。
b 仏教及びキリスト教を信仰する原告ら
本件参拝は,靖国神社に公的権威を与え,その余の宗教を靖国の劣位において
抑圧する効果を持つものであり,本件参拝によって,仏教及びキリスト教を信
仰する原告らは,信仰の自由を侵害された。
c 特定の信仰を持たない原告ら
本件参拝によって,特定の宗教を持たない原告らは,無宗教又は無信仰という
生活(非宗教的生活)を平穏かつ円満に享受する権利を侵害された。
d 在日コリアンである原告ら
本件参拝によって,在日コリアンである原告らは,日本による侵略戦争と植民
地支配の恐怖やそれに起因する欠乏に苦しめられることなく安んじて平和のう
ちに生存する権利及び平和を愛する諸国民との問に築き上げた信頼関係の下で
戦争の恐怖や予感に脅かされることなく安んじて暮らしていきたいという生存
の基本たる権利を侵害された。
ウ 被告らの責任
(ア)被告国の責任
被告小泉は,内閣総理大臣の職務として本件参拝を行ったものであるから,被
告国は,国家賠償法1条1項に基づき,原告らに生じた損害を賠償する責任を負
う。
(イ)被告小泉の責任
国家賠償法の意義及び機能は,被害者の財産的救済のみならず,公務執行の適
正担保にもあると考えられるから,同法1条は,少なくとも違法行為が故意又
は重大な過失による場合は,加害公務員個人に対して請求することを妨げない
趣旨と解すべきである。
被告小泉は,故意の違法行為によって原告らに損害を与えたものであるから,
民法709条に基づき,原告らに生じた損害を賠償する責任を負う。
エ 原告らの損害
本件参拝によって原告らが被った精神的損害は,それぞれ10万円を下るもので
はない。
(被告らの主張)
ア 本件参拝は原告らの法律上保護された具体的権利ないし法益を侵害するもの
ではないこと
(ア)政教分離規定の保障する人権の侵害の主張について
政教分離規定は制度的保障の規定であって人権保障規定ではない(最高裁昭和
52年7月13日大法廷判決・民集31巻4号533頁,同昭和63年6月1日大法廷判決・
民集42巻5号277頁)から,原告らの主張は失当である。
(イ)信教の自由の侵害の主張について
信教の自由の保障は,国家から公権力によってその自由を制限されることなく,
また,不利益を課せられないという意味を有するものであり,国家によって信
教の自由が侵害されたといい得るためには,少なくとも国家による信教を理由
とする不利益な取扱い,又は強制もしくは制止の存在することが必要である。
本件参拝は,原告らの信教を理由に原告らを不利益に取り扱ったり,原告らに
特定の宗教の信仰を強要したり,あるいは原告らの信仰する宗教を妨げたりす
るものではない。したがって,本件参拝が原告らの信教の自由を侵害した旨の
原告らの主張は理由がない。
(ウ)宗教的人格権の侵害の主張について
原告らの主張する宗教的人格権なるものは,その内容が不明であり,いかなる
行為によりどのような状態に至った場合にこれが侵害されたことになるのか全
く明らかにされておらず,そもそも法律によって一律に保護すべき場合を確定
し得ないものである。したがって,原告らの主張する宗教的人格権は,法律に
よる保護にはなじまない個人の主観的感情にすぎないものであり,国家賠償法
上保護された具体的権利ないし法益とはいえない。
(エ)平和的生存権の侵害の主張について
原告らの主張する平和的生存権なるものは,その概念そのものが抽象的かつ不
明確であるばかりでなく,具体的な権利内容,根拠規定,主体,成立要件,法
的効果等のどの点をとってみても一義性に欠け,その外延を画することさえで
きない極めて暖味なものであるから,国家賠償法上保護された具体的権利ない
し法益ではない。したがって,本件参拝が原告らの平和的生存権を侵.害した
旨の原告らの主張は理由がない。
(オ) 以上より,本件参拝によって原告らの法律上保護された具体的権利ない
し法益が侵害された事実はない。
イ 被告国の責任について
本件参拝は,被告小泉が私人の立場で行ったものであり,内閣総理大臣の資格
で行ったものではなく,公務員の職務行為として行ったものではないから,国
家賠償法1条1項の要件を具備しない。以上より,被告らは,原告らに対して損
害賠償責任を負わない。
(被告小泉の主張)
仮に,本件参拝が内閣総理大臣の職務として行われたものであったとすれば,
公権力の行使にあたる公務員の職務行為に基づく損害については,当該公務員
は賠償責任を負うものではない(最高裁昭和53年10月20日第二小法廷判決・民
集32巻7号1367頁)から,原告らの被告小泉に対する本件請求は主張自体失当
である。
第3 当裁判所の判断
1 争点(1)(原告らの被告小泉に対する本件訴えが訴権の濫用に当たるか否か。
)について
(1)被告小泉は,原告らの被告小泉に対する本件訴えは,被告小泉が一人の自
然人として信教の自由を実現するために行った本件参拝を違憲,違法と断じた上
で損害賠償を求めたものであり,訴訟の名を借りて,被告小泉の有する信教の自
由を制限しようとするものであるから,訴権の濫用として不適法である旨主張す
る。しかしながら,原告らの被告小泉に対する本件訴えは,被告小泉が内閣総理
大臣の職務として本件参拝を行ったことにより精神的損害を被った旨主張して損
害賠償を請求するものであって,被告小泉が一人の自然人として私人の立場で本
件参拝を行った旨主張して損害賠償を請求するものではない。また,本件全証拠
によっても,原告らにおいて被告小泉の有する信教の自由を制限しようとする目
的で,被告小泉に対する本件訴えを提起したことを認めることはできない。
(2)したがって,原告らの被告小泉に対する本件訴えは訴権の濫用には当たら
ない。
2 争点(2)(被告らの原告らに対する損害賠償責任の存否)について
(1)認定事実
前記前提となる事実に加えて,証拠(甲1ないし5,10ないし14,19,66,158)
及び弁論の全趣旨によれば,次の事実を認めることができる。
ア 靖国神社の沿革及び性格
(ア)靖国神社は,戊辰戦争における官軍側の戦死者の招魂慰霊のため,明治2
年,明治天皇の命により創建された東京招魂社を起源とするものである。
(イ)東京招魂社は,明治12年に靖国神社と改称され,社格制度の下,臣民を祭
神とする全国的に重要な神社を過するために創案された別格官弊社に格付けられ
るとともに,内務,陸軍及び海軍の各省の共同管轄下に入った。「靖国」の社号
は,古代中国の史書「春秋」に由来するものであって,安国及び鎮国と同義であ
り,明治天皇が命名したものであった。
(ウ)靖国神社は,明治20年,内務省の管轄を離れ,陸軍及び海軍の各省の管轄
下に入り,天皇の意志に基づき,明治維新における官軍側の戦死者等の国事殉難
者を祭神として合祀(既に祀られている神々に新たに合わせて斥巳ること)する
ようになり,新たに合祀する度に,新祭神の官位姓名を名簿(後の霊璽絆)に記
載し,神体の神鏡及び神剣に加えて,その名称を副神体として社殿に祀っていた。
(エ)その後,靖国神社は,日清戦争及び日露戦争を経て,これらの戦争におけ
る戦死者を祭神として合斥巳することによって,戦死者を慰霊顕彰するための軍
の宗教施設としての役割を果たした。なお,戦死者(祭神)の霊は,忠魂,忠霊
と呼ばれてきたが,日露戦争のころから英霊という呼び方が一般化するようにな
った。
(カ)靖国神社は,第1次及び第2次世界大戦中も,臨時大祭を執り行うなどして
戦死者を祭神として合祀し続け,国家神道の精神的支柱の役割を果たした。また,
国家神道に対しては事実上国教的な地位が与えられ,キリスト教系の学校生徒が
神社に参拝することを事実上強制されるなど,他の宗教に対する迫害が加えられ
た。
(カ)戦後,昭和20年12月に連合国軍総司令部が日本政府に宛てた覚え書「国家
神道,神社神道二対スル政府ノ保証,支援,保全,監督,並二弘布ノ廃止二関ス
ル件」(いわゆる神道指令)によって,国家神道の廃止を中心とする徹底的な政
治と宗教の分離がなされるようになり,宗教の統制と戦争への動員を目的として
制定された宗教団体法が廃止され,宗教団体が自主的な届出によって宗教法人と
なることができる旨規定された宗教法人令が公布施行された。昭和21年2月2日に
は,神祀院官制をはじめ,神社関係の全法令が廃止され,国家神道は制度上も消
滅し,同日改定された宗教法人令によって,靖国神社は同令に基づく宗教法人と
みなされ,直ちに東京都知事に届出を行い,民間の宗教団体である神社本庁に所
属しない東京都の単立の宗教法人となった。靖国神社は,国家神道の廃止により
一切の国家的性格を喪失し,同時に近代天皇制下で続けられてきた祭神の合祀も
国家の主体的な援助の下でされることはなくなった。
(キ)昭和26年,宗教法人令が廃止されて宗教法人法が公布埠行されたことに伴
い,靖国神社は,同年9月,東京都知事の認証を得て宗教法人法に基づく単立の
宗教法人となった。その規則においては,「明治天皇の宣らせ給うた『安国』の
聖旨に基き,国事に殉ぜられた人々を奉斎し,神道の祭祀を行ひ,その神徳をひ
ろめ,本神社を信奉する祭神の遺族その他の崇敬者を教化育成し,社会の福祉に
寄与しその他本神社の目的を達成するための業務及び事業を行ふことを目的とす
る。」と定められ,また,その杜若の前文においては「本神社は明治天皇の思召
に基き,嘉永六年以降国事に殉ぜられたる人人を奉慰し,その御名を万代に顕彰
するため,明治二年六月二九日創立せられた神社である。」,2条に「本神社は
御創立の精神に基き,祭祀を執行し,祭神の神徳を弘め,その理想を祭神の遺族
崇敬者及び一般に宣揚普及し,社運の隆昌を図り,万世にゆるぎなき太平の基を
閃き,以て安国の実現に寄与するを以て根幹の目的とする。」と定められ,戦前
の靖国神社との継承性が謳われている。
(ク)靖国神社は,その境内に鳥居,拝殿及び本殿等の神社固有の施設を有し,
宮司,権宮司等の神職を置き,春秋の例大祭,合祀祭を重要な祭祀として執り行
い,その他にみたま祭,新年祭,建国記念祭などの祭祀を神道方式により行って
いる。
春季例大祭は毎年4月21日から23日まで,秋季例大祭は毎年10月17日から20日
までの各4日にわたって執り行われる祭祀である。靖国神社は,戦後も合祀祭
を執り行い,戦前の基準を踏襲して軍人軍属,準軍属及びその他を合祀の対象
者とし,昭和53年には,戦後のいわゆる東京裁判においてA級戦犯とされた者
も合祀し,平成14年1月1日現在,合祀柱数は246万6000柱(うち約210万柱は第
2次世界大戦による戦没者)に上っている。なお,靖国神社は,空襲による一
般市民の戦没者は合祀の対象者とはしていない。
イ 本件参拝に至る経緯
(ア)前記のとおり,靖国神社は,戦後の国家神道の廃止により,一切の国家的
性格を喪失し,宗教法人法に基づく宗教法人となったが,日本遺族厚生連盟は,
昭和27年6月の理事会及び評議員会で,戦犯者の靖国神社への合斥巳を求める旨
の運動方針の大網を定め,第4回全国戦没者遺族大会で,靖国神社の慰霊行事に
対する国費の支弁を求める旨の決議をし,靖国神社の国家護持を要求した。日本
遺族厚生連盟は,昭和28年に財団法人日本遺族会に組織変更した際,「英霊」の
顕彰を目的とするようになり,これをきっかけに,日本遺族会及び靖国神社等が
協力し,さらに国会議員も加わって靖国神社の国家護持運動が起こった。
(イ)昭和44年,靖国神社の国家護持を目的とする靖国神社法案が議員立法の形
で国会に提出されたが審議未了で廃案となり,同案はその後も4回提出されたが,
いずれも廃案となり,昭和49年に自由民主党(以下「自民党」という。)が法制
化を断念した。
(ウ)昭和50年,衆議院内閣委員会委員長になった自民党の藤尾正行衆議院議員
は,靖国神社について,最終目標を国家護持に置きながら,1天皇及び国家機関
の地位にある者等のいわゆる公式参拝(当時の衆議院法制局長は,「国の立場と
いうのが明確になる立場」と説明している。),2外国使節の公式表敬訪問,3
自衛隊儀伏兵の参列参拝,4国民の支持を得られるよう合祀対象を広げて,警察
官や消防士なども含めることなどという段階的な案を発表した。
(エ)そして,昭和50年8月15日,当時の内閣総理大臣の三木武夫は,全国戦没
者追悼式に出席した後,戦後内閣総理大臣の地位にある者としては初めて,終戦
記念日に靖国神社に参拝した。三木武夫は,自民党総裁専用車で公職者を随行さ
せずに靖国神社に赴き,肩書きを付さずに「三木武夫」と記帳して参拝し,私費
で玉串料を支出した。
政府は,同参拝後,公式参拝ではなく私的参拝であるための基準として,1公
用車は使わない,2玉串料は公費支出しない,3記帳には肩書きを付さない,
4公職者を随行させないという4つの条件を挙げ,三木武夫の参拝は私的なも
のであるとの見解を示した。
(オ)昭和53年8月15日,当時の内閣総理大臣である福田剋夫は,公用車を使用
し,3名の公職者を随行させ,「内閣総理大臣福田剋夫」と記帳し参拝したが,
玉串料は私費で支出した。
そして,政府は,1私人としての参拝は首相も閣僚も信教の自由の保障により
可能である,2特に政府の行事として参拝を決定し,あるいは玉串料を公費で
支出しない限り,私的行為である旨の新たな統一見解を発表し,本件参拝は違
憲ではないとの見解を示した。
(カ)その後も,昭和54年から55年にかけて,当時の各現職内閣総理大臣である
大平正芳及び鈴木善幸は,靖国神社に参拝した。
政府は,同年11月17日,1国務大臣としての資格で靖国神社に参拝することは,
憲法20条3項との関係で問題がある,2政府としては,国務大臣としての靖国
神社参拝を合憲,違憲とも断定していないが,違憲ではないかとの疑いをなお
否定できない,3そこで,国務大臣としての参拝は差し控えるという内容の新
たな統一見解を発表した。
(キ)次いで内閣総理大臣に就任した中曾根康弘は,昭和58年,春季例大祭の際
に靖国神社に参拝し,「内閣総理大臣たる中曾根康弘」として参拝した旨述べた。
中曾根康弘は,昭和59年の春季例大祭及び終戦記念日の際にも靖国神社に参拝し,
それぞれについて「内閣総理大臣である中曾根康弘」として参拝した旨述べた。
また,中曾根康弘は,公式参拝の合憲性を根拠付けるため自民党に検討を指示し,
これを受けて,自民党は,公的機関の地位にある者が神社や寺院を訪れて,戦没
者の功績を称え,玉串料などを公費支出しても違憲ではない旨の見解をまとめた。
(ク)同見解を受けた政府は,昭和59年,官房長官の私的諮問機関として,「閣
僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」(以下「靖国懇」という。)を設置し,
靖国懇に検討を委ねた。靖国懇は,昭和60年に報告書をまとめ,内閣総理大臣そ
の他の国務大臣の靖国神社公式参拝について,その大臣としての公的資格で行う
参拝と定義づけた上,戦没者の追悼は宗教,宗派,民族,国家の別などを超えた
人間自然の普遍的な情感であって,国民の要望に即し,国及びその機関が国民を
代表する立場で行うことも当然であり,国民や遺族の多くは,今日まで靖国神社
をその沿革や規模から見て依然として日本における戦没者追悼の中心施設である
と受け止めており,内閣総理大臣その他の国務大臣が同神社に公式参拝すること
を望んでいるものと認められるとして,大方の国民感情や遺族の心情を酌み,政
教分離原則に関する憲法の規定に反することなく,また,国民の多数により支持
され,受け容れられる何らかの形で内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社へ
の公式参拝を実施する方法を検討すべきとの見解を示した。
(ケ)靖国懇の報告を受けて,中曾根康弘は,昭和60年8月15日,公用車を使用
し,当時の官房長官である藤波孝生及び厚生大臣である増岡博之を公務として随
行させ,拝殿で「内閣総理大臣中曾根康弘」と記帳し,本殿において一礼する方
式により,内閣総理大臣としての資格において靖国神社に参拝した。しかしなが
ら,国内の宗教団体及び市民団体やアジア諸国から厳しい批判や抗議を受けたた
め,中曾根康弘は,同年10月の秋季例大祭における靖国神社への参拝を見送り,
結局,中曾根康弘によるいわゆる公式参拝は1回のみなされ,その後,現職の内
閣総理大臣がいわゆる公式参拝をすることはなかった。
なお,中曾根康弘の上記参拝については,慰謝料の支払を国や中曾根康弘個人
に求める国家賠償請求訴訟が複数の地方裁判所に提起され,そのうち大阪地方
裁判所のした判決に対する控訴審である大阪高等裁判所は,同参拝は憲法20条
3項所定の宗教的活動に該当する疑いが強く,同条項に違反する疑いがある旨
判示した。
(コ)平成13年4月18日,被告小泉は,自民党総裁選の討論会において,尊い命
を犠牲に日本のために戦った戦没者たちに敬意と感謝の誠を捧げるのは政治家と
して当然であり,内閣総理大臣に就任したら,8月15日の戦没慰霊祭の日にいか
なる批判があっても靖国神社に参拝する旨述べ,また,同月24日,自民党総裁と
しての初めての記者会見において,日本の発展は戦没者の尊い命の犠牲の上に成
り立っており,戦没者慰霊祭の日に靖国神社に参拝することによって,そのよう
な純粋な気持ちを表すのは当然である旨述べた。
さらに,被告小泉は,内閣総理大臣就任後の同年5月14日の衆議院予算委員会
において,依然として靖国神社に参拝するつもりである旨及び靖国神社に参拝
することが違憲だとは思わない旨答弁した。
(サ)しかし,靖国神社への参拝をめぐっては,中華人民共和国や大韓民国から
参拝中止を強く求められ,また,国内においても,内閣内や自民党内からも反対
意見が相次ぎ,朝日新聞社の世論調査においても,被告小泉の靖国神社参拝に対
して慎重に行うよう求める意見が大幅に増加したと報道されたことに伴い,被告
小泉は,熟慮した上で参拝するか否か判断したい旨述べるなど,靖国神社参拝に
慎重な姿勢に転じ,平成13年8月10日には,政府内でも,参拝日を終戦記念日で
ある8月15日以外にずらす案が浮上した。
ウ 本件参拝の状況等
(ア)被告小泉は,平成13年8月13日,秘書官を伴って公用車で靖国神社に赴き,
同神社参集所において「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳した上で本殿に進み,
本殿において,祭神に一礼する方式(以下「一礼方式」という。)により参拝し
た。被告小泉は,「献花内閣総理大臣小泉純一郎」との名札を付した献花をし,
献花料として3万円を私費で支出した。
本件参拝に先立ち,官房長官である福田康夫は,被告小泉に代わって「私はこ
こに,こうしたわが国の悔恨の歴史を虚心に受け止め,戦争犠牲者の方々すべ
てに対し,深い反省とともに,謹んで哀悼の意を捧げたいと思います。」,
「終戦記念日における私の帝国神社参拝が,私の意図とは異なり,国内外の人
々に対し,戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的考え方に疑念を抱
かせかねないということであるならば,それは決して私の望むところではあり
ません。」,「今後の問題として,靖国神社や千鳥が淵戦没者墓苑に対する国
民の思いを尊重しつつも,内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧げるには
どのようにすればよいか,議論をする必要があると私は考えております。」と
の本件参拝に関する「小泉内閣総理大臣の談話」を発表した。
(イ)被告小泉は,本件参拝後の同日夕方,靖国神社において,記者団に対し,
「今日の日本の平和と繁栄は,戦没者の方々の犠牲の上に成り立っている。数多
くの戦没者に対し,哀悼の誠をささげた。A級戦犯とか特定の個人に対してお参
りしたわけではない。」旨述べ,公式参拝か私的参拝かについては「私はこだわ
らない。首相である小泉純一郎が参拝した。」と語った。なお,終戦記念日であ
る同月15日の靖国神社への参拝者数(神社発表)は,前年(5万5000人)の2倍以
上に相当する12万5000人であり,当日は閉門時問が午後8暗まで1時間延長された。
エ
本件参拝後の状況
(ア)本件参拝後,同参拝に対し,大韓民国,中聾人民共和国,朝鮮民主主義人
民共和国及び中華民国などのアジア諸国から抗議や懸念の声明が相次いだ。また,
国内でも,財団法人全日本仏教会(以下「全日本仏教会」という。),浄土真宗
本願寺派などの宗教団体から,批判や抗議の声明が表明された。
(イ)平成13年11月1日,被告小泉が靖国神社に参拝したのは政教分離規定に反
し違憲であるなどとして,慰謝料等の支払を被告国や被告小泉に求める国家賠償
請求訴訟が,当庁(本件訴訟)のほか,大阪及び松山の各地方裁判所に提起され,
その後,同種の訴訟が東京及び千葉の各地方裁判所に提起された。
(ウ)政府は,本件参拝に対する相次ぐ批判を受けて,平成13年12月,官房長官
の私的諮問機関として,「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考え
る懇談会」を設置し,戦没者追悼のための国営施設の在り方についての検討を委
ねた。
(エ)被告小泉は,靖国神社の春季例大祭の初日である平成14年4月21日,靖国
神社に再び参拝した−。同日,被告小泉は,公用車を使用して靖国神社に赴き,
「内閣総理大臣小泉純一郎」と記帳し,本殿に進んで神道方式にはよらない一礼
方式で参拝した。また,献花料として3万円を私費で支出した。
その後,被告小泉は,同神社において,記者団に対し,「二度と戦争を起こし
てはならないという意味を込めて参拝した。」と述べ,8月の参拝については,
「ありません。1年に1度と思っている。」と答えるとともに,「例大祭に合わ
せて参拝することにより,私の真情を素直に表すことができると考えた。」と
いう所感を発表した。
他方,政府は,春季例大祭は正式には21日午後3時の「晴祓」をもって始まる
ものであり,被告小泉は同日午前中に参拝しているので,同参拝は宗教儀礼と
直接の関わりをもつものではない旨説明し,福田康夫も被告小泉は例大祭に出
席したことにはならないと語った。これに対し,靖国神社は,「例大祭の期間
は21日からと決まっており,午後3時からの儀式が始まっていないからといっ
て出席しなかったことにはならない。神社としては例大祭に参拝していただい
たと思う。」との見解を示した。
(オ)同参拝に対しても,本件参拝と同様,大韓民国や中華人民共和国
などから抗議がなされ,また,国内においても,全日本仏教会,浄土真宗本願寺
派,真宗10派からなる真宗教団連合等が,被告小泉に対し,抗議声明を送るなど
して,参拝の中止を求めた。
(カ)被告小泉は,平成15年1月14日,内閣総理大臣就任後3度目の靖国神社参拝
を行った。被告小泉は,これまでの参拝と同様,「内閣総理大臣小泉純一郎」と
記帳し,献花料として3万円を私費で支払った。同参拝に対しては,中華人民共
和国及び大韓民国から直ちに抗議声明が表明され,また,国内においても各宗教
団体や市民団体から相次いで抗議声明が発表された。
(キ))被告小泉は,平成15年1月28日の参議院予算委員会において,「戦没者
に対する敬意と感謝の念を込めて,二度と戦争を起こして
はならないという気持ちで,靖国神社を毎年参拝している。」と説明し,「私が
首相である限り,時期にはこだわらないが,毎年靖国神社に参拝する気持ちに変
わりはない。」と述べた。
(ク)被告小泉は,平成16年1月1日,初詣と称して,内閣総理大臣就任後4度目
の靖国神社参拝を行った。被告小泉は,これまでの参拝と同様,「内閣総理大臣
小泉純一郎」と記帳し,献花料として3万円を私費で支払った。同参拝に対して
も,大韓民国及び中華人民共和国は厳しく抗議するとともに,内閣総理大臣によ
る靖国神社参拝の中止を強く求めた。
(2)本件参拝の職務行為該当性について
国家賠償法1条1項にいう「職務を行うについて」とは,当該公務員が,その行
為を行う意図目的はともあれ,行為の外形において職務の執行と認め得る場合
をいうと解するのが相当である(最高裁昭和31年11月30日第二小法廷判決・民
集10巻11号1502頁)。本件参拝については,前記認定事実によれば,被告小泉
は,公用車を使用して靖国神社に赴き,秘書官を随行させたこと,被告小泉は,
「内閣総理大臣小泉純一郎」と,あえて内閣総理大臣の肩書きを付して記帳し,
また,「献花内閣総理大臣小泉純一郎」との名札を付した献花をしたこと,本
件参拝に先立ち,官房長官である福田康夫は,本件参拝に関する「小泉内閣総
理大臣の談話」を発表したこと,本件参拝後,被告小泉は,公的参拝か私的参
拝かについてはこだわらないものであって,内閣総理大臣である被告小泉が参
拝した旨語り,公的参拝であることを明確には否定していないことなどが認め
られ,これらの諸事情に照らせば,本件参拝は,行為の外形において内閣総理
大臣の職務の執行と認め得るものというべきであり,同条項の「職務を行うに
ついて」に当たると認められる。
(3)本件参拝の違憲性について
ア 政教分離規定(憲法20条3項)違反について
(ア) 「宗教的活動」(憲法20条3項)の意義
我が国では,過去において,大日本帝国憲法に信教の自由を保障する規定(28
条)を設けてはいたが,その保障は,「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務二
背カサル限二於テ」という同条自体の制限に服していただけではなく,国家と
神道が密接に結びつき,国家神道に対して事実上国教的な地位が与えられ,こ
れに対する信仰が強制され,また,一部の宗教団体に対して厳しい迫害が加え
られたことなどもあって,不完全なものにとどまった。日本国憲法は,その反
省の下に,新たに信教の自由を無条件に保障することとし,また,明治維新以
降上記のような弊害を生じたことに鑑みて,その保障を確実なものとするため
に政教分離規定を設けたものである。
したがって,憲法20条3項が禁止している「宗教的活動」とは,前記政教分離
原則の規定が設けられた経緯に照らせば,およそ国及びその機関の活動で宗教
とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく,そのかかわり合い
が社会的,文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものに限られると
いうべきであって,当該行為の目的が宗教的意義をもち,その効果が宗教に対
する援助,助長,促進又は圧迫,干渉等になるような行為をいうものと解すべ
きである。その典型的なものは,同項に例示される宗教教育のような宗教の布
教,教化,宣伝等の活動であるが,そのほか宗教上の祝典,儀式,行事等であ
っても,その目的,効果が前記のようなものである限り,当然これに含まれる。
そして,この点から,ある行為が「宗教的活動」に該当するかどうかを検討す
るにあたっては,当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか,その順序作法
(式次第)が宗教の定める方式に則ったものであるかどうかなど,当該行為の
外形的側面のみにとらわれることなく,当該行為の行われる場所,当該行為に
対する一般人の宗教的評価,当該行為者が当該行為を行うについての意図,目
的及び宗教的意識の有無,程度,当該行為の一般人に与える効果,影響等,諸
般の事情を考慮し,社会通念に従って客観的に判断しなければならないと解す
るのが相当である(最高裁昭和52年7月13日大法廷判決・民集31巻4号533頁)。
(イ)本件参拝の性質
そこで,上記見地から,本件参拝が憲法20条3項によって禁止されている宗教
的活動に当たるか否かについて検討する。
前記認定事実によれば,靖国神社は,神道の教義を広め,春秋の例大祭や合祀
祭等の儀式行事を行い,信者を教化育成することを主たる目的とし,拝殿,本
殿等の礼拝施設を備える神社であって,宗教団体(憲法20条1項後段,宗教法
人法2条)に該当するものであり,同法に基づいて設立された宗教法人である。
本件参拝は,このような靖国神社の本殿等において,∵礼して祭神である英霊
に対して畏敬崇拝の心情を示すことにより行われた行為であるから,靖国神社
が主宰するものでも神道方式に則った参拝方法でもなく,また,靖国神社に合
祀されている戦没者の追悼を主な目的とするものではあっても,宗教とかかわ
り合いをもつものであることは否定することができない。
また,本件参拝当時,内閣総理大臣が国の機関として靖国神社に参拝すること
については,他の宗教団体からだけではなく,自民党内及び内閣内からも強い
反対意見があり,国民の問でも消極的な意見が少なくなかったことに照らせば,
一般人の意識においては,本件参拝を単に戦没者の追悼という行事と評価して
いるものとはいえず,また,前示のとおり憲法の政教分離規定は,明治維新以
来国家と神道が密接に結びついて種々の弊害が生じたことへの反省の観点から
設けられたものであって,神道を念頭においた規定であることに照らすと,一
般人の意識において神道が他の宗教に比して必ずしも宗教としての認識が高く
ないものであるとしても,そのことをもって憲法20条3項にいう「宗教的活動」
に該当するかどうかを判断するにあたって,神道の宗教的意義を否定するのは
相当でないというべきである。
さらに,被告小泉は,本件参拝後も毎年1回の頻度で靖国神社に参拝し続け,
「1年に1度と思っている。」,「私が首相である限り,時期にはこだわらない
が,毎年靖国神社に参拝する気持ちに変わりはない。」と発言するなど,将来
においても継続的に国の機関である内閣総理大臣として靖国神社に参拝する強
い意志を有していることが窺われることからすれば,単に社会的儀礼として本
件参拝を行ったとは言い難く,また,国の機関である内閣総理大臣としての戦
没者の追悼は,靖国神社への参拝以外の行為によってもなし得るものである。
靖国神社が前記認定の沿革及び性格を有していること,特に戦没者のうち軍人
軍属,準軍属等のみを合祀の対象とし,空襲による一般市民の戦没者などは合
祀の対象としていないことからすれば,内閣総理大臣として第2次世界大戦に
よる戦没者の追悼を行う場所としては,宗教施設たる靖国神社は必ずしも適切
ではないというべきであって,現に,被告小泉自身,本件参拝に際して発表し
た「小泉内閣総理大臣の談話」において,戦没者の追悼方法について議論する
必要があるという認識を有している旨表明し,これを受けて政府は,本件参拝
後に戦没者追悼のための公営施設の在り方を考えるための懇談会を設置し,検
討を委ねていた。それにもかかわらず,被告小泉は,本件参拝後も継続的に靖
国神社に参拝し,既に本件参拝を含めて4回も内閣総理大臣として靖国神社に
参拝していることに照らせば,一般人に宗教的行為と捉えられること並びに参
拝をすることについて憲法上の問題及び国民又は諸外国からの批判等があり得
ることを十分に承知しつつ,あえて自己の信念あるいは政治的意図に基づいて
本件参拝を行ったものというべきである。
そして,本件参拝は,三権の一角の行政権を担う内閣の首長である内閣総理大
臣の地位にある被告小泉が,将来においても継続的に参拝する強い意志に基づ
いてなしたものであること,被告小泉は,本件参拝に際して日本の発展は戦没
者の尊い命の犠牲の上に成り立っており,戦没者慰霊祭の日に靖国神社に参拝
することによって,そのような純粋な気持ちを表すのは当然である旨述べてい
ること,本件参拝直後の終戦記念日には,前年の2倍以上の参拝者が靖国神社
に参拝し,閉門時間が1時間延長されたことなどからすれば,本件参拝によっ
て神道の教義を広める宗教施設である靖国神社を援助,助長,促進するような
効果をもたらしたというべきである。
以上の諸事情を考慮し,社会通念に従って客観的に判断すると,本件参拝は,
宗教とかかわり合いをもつものであり,その行為が一般人から宗教的意義をも
つものと捉えられ,憲法上の問題のあり得ることを承知しつつされたものであ
って,その効果は,神道の教義を広める宗教施設である靖国神社を援助,助長,
促進するものというべきであるから,憲法20条3項によって禁止されている宗
教的活動に当たると認めるのが相当である。
(ウ)したがって,本件参拝は憲法20条3項に反するものというべきである。
イ 信教の自由(憲法20条1項前段)及び宗教的人格権(憲法20条1項前段,3項)
侵害の違憲性について
原告らは,本件参拝は,憲法20条1項前段で保障されている,原告らの特定の
宗教を信仰すること又は信仰しないことを強制されない自由としての信教の自
由を侵害するものであって違憲である旨主張する。
しかしながら,信教の自由の保障は,国から公権力によってその自由を制限さ
れることなく,また,不利益を課せられないとの意義に解すべきものであり,
国によって信教の自由が侵害されたといい得るためには,少なくとも国及びそ
の機関によって信教を理由として不利益な取扱い又は宗教上の強制もしくは制
止が行われたことが必要であると解するのが相当であるところ,本件参拝は,
原告らに対して信教を理由として不利益な取扱いをしたり,、中理的な強制を
含む宗教上の強制や制止をしたりするものではなく,原告らに不安感,危倶の
念を生じさせるものではあっても,それ以上に上記のような信教の自由を侵害
したものとはいえず,この点に関する原告らの主張は理由がない。また,原告
らは,本件参拝は,憲法20条1項前段及び3項で保障されている,日常の市民生
活において平穏かつ円満な宗教的生活を享受する権利である宗教的人格権を侵
害するものであって,違憲である旨主張するが,原告ら主張の宗教的人格権な
るものは,信教の自由により保障される範囲外においては実定法上の根拠を欠
くものであり,その内容も主観的,抽象的なものであって,憲法上の人権とし
て保障されているものとは解し難いから,原告らの主張はその前提を欠き失当
である。
ウ 平和的生存権(憲法前文,9条)侵害の違憲性について
原告らは,本件参拝は,憲法前文及び9条によって保障されている原告らの平
和的生存権を侵害するものであって違憲である旨主張する。
しかしながら,平和とは抽象的概念であって,憲法前文にいう「平和のうちに
生存する権利」ということ自体からは,一定の具体的な意味内容が確定される
ものではなく,また,憲法9条は,国家の統治機構及び統治活動についての規
範を定めたものにすぎず,国民の具体的権利を直接保障したものということは
できないから,結局,原告ら主張の平和的生存権は,その内容及び性質などの
点で抽象的なものといわざるを得ず,憲法上保障されている権利ということは
できない。
したがって,原告らの上記主張はその前提を欠き失当である。
(4)原告らに対する権利侵害の有無について
ア 原告らが受けた精神的苦痛
原告らは,本件参拝によって,信教の自由,宗教的人格権及び平和的生存権を
侵害され,精神的損害を被った旨主張する。そこで,まず,原告らが受けた精
神的苦痛について検討すると,証拠(甲62,63,83の1・2,84ないし89,90の
1の1,90の2ないし13,
96,102,125の1ないし4,126,131ないし140,148,159ないし177,原告安藤柴
雄,原告藤岡崇信,原告藤田英彦,原告梶村晃,原告襲来善)によれば,次の事
実を認めることができる。
イ)戦没者遺族である原告ら
戦没者遺族である原告らは,戦没者が合祀されている靖国神社への本件参拝に
よって,それぞれの肉親の死の意味づけに介入されたとして,憤り,不快感な
どの感情を抱くとともに,戦前の国家神道の復活に対する危慎の念,危機感な
どの感情を抱いたことが認められる。
(イ)仏教の僧侶,門徒又は信徒である原告ら
仏教の僧侶,門徒又は信徒である原告らは,本件参拝によって神道が国から特
別扱いされ,その結果,仏教を布教してきた自己の努力を蔑ろにされたと感じ
るとともに,自己の信仰心を傷つけられたと考え,圧迫感,不快感,憤りなど
の感情を抱いたことが認められ
る。
(ウ キリスト教の神父,牧師又は信徒である原告ら
キリスト教の神父,牧師又は信徒である原告らは,死を美化して死者を礼拝の
対象としている靖国神社への本件参拝によって,死を乗り越えて復活したとい
うイエス・キリストの復活信仰を否定されたと感じ,悲しみ,憤りなどの感情
を抱いたことが認められる。
(エ)特定の宗教を持たない原告ら
特定の宗教を持たない原告らは,本件参拝によって,各自が実践してきた平和運
動を踏みにじられたと感じるとともに,靖国神社の信仰を押しつけられたと考え,
不安感,不快感などの感情を抱いたことが認められる。
(オ)在日コリアンである原告ら
在日コリアンである原告らは,本件参拝によって,日本による植民地支配下に
おいて受けた被害を想起させられ,日本人とコリアンとの将来における関係に
ついて憂慮を感じるに至ったなどとして,憤り,不快感,不安感などを感じて
いることが認められる。
イ 権利侵害の有無
(ア)平和的生存権侵害の主張について
原告らは,本件参拝は,靖国神社という戦前の全体主義的軍国主義的な政治的
象徴を承認,称揚,鼓舞するという行為であって,原告らの有する平和的生存
権を侵害した旨主張するが,前示のとおり,原告ら主張の平和的生存権は,そ
の内容及び性質などの点で抽象的なものであって,憲法上の保障が及ばないこ
とはもとより,法律上保護された具体的な権利及び利益として個々の国民に保
障されたものとは解されないから,原告らの上記主張は採用できない。
(イ)政教分離規定の保障する人権に対する侵害
原告らは,憲法20条3項及び89条にいう政教分離規定は,国民に対し,何の侵害
も受けることなく,心のままに不安もなく信仰を貫徹できる自由を保障した人権
規定であり,信教の自由に対する直接的間接的な強制又は圧迫から国民を保護す
るための規定であるから,国家及びその機関が政教分離規定に違反する行為をし
た場合,その行為が直接的な強制であるか間接的な強制であるかを問わず,同規
定が保障する人権を侵害するものであるところ,本件参拝は政教分離規定に違反
する行為であるから,本件参拝によって原告らの上記人権が侵害された旨主張す
る。
しかしながら,政教分離規定(憲法20条1項後段,3項,89条)は,いわゆる制
度的保障の規定であり,国及びその機関に対し,一定の宗教上の行為を禁止し,
国家と宗教との分離を制度として保障することにより,間接的に信教の自由の
保障を確保しようとするものであり,国民に対して具体的な権利を保障するも
のではないと解するのが相当である。
したがって,原告らの上記主張は,政教分離規定を人権保障規定とする点で既に
失当である。
(ウ)信教の自由の侵害の主張について
原告らは,憲法20条1項前段にいう信教の自由は,その一内容として特定の宗
教を信仰すること又は信仰しないことを強制されない自由を含んでおり,同自
由は,直接的物理的に強制的な圧迫干渉がなくとも侵害され得るものであると
ころ,本件参拝は,国やその機関の権威をもって,原告らに対して靖国神社へ
の信仰を心理的に強制したものであり,同神社を信仰しない原告らの信教の自
由を侵害したものである旨主張する。
しかしながら,前示のとおり,本件参拝が原告らの信教の自由を侵害したとは
いえず,原告らの上記主張は理由がない。
(エ)宗教的人格権侵害の主琴について
原告らは,政教分離規定により又は信教の自由の一内容として,日常の市民生
活において平穏かつ円満な宗教的生活又は非宗教的生活を享受する権利である
宗教的人格権が憲法上保障されており,本件参拝によって,原告らの有する宗
教的人格権が侵害された旨主張
する。
しかしながら,原告らの主張する宗教的人格権なるものはその内容がきわめて
暖昧であり,憲法上の人権として保障されているものと言い難いことは,前示
のとおりである。
(オ)原告らが受けた精神的苦痛に対する評価
もっとも,原告らの主張する人格的利益が憲法上の人権といえないものとして
も,一般論として,人が他者の宗教的活動によって,例えば精神疾患にも準じ
るような激しい精神的苦痛を被った場合について,それが単に精神的,内心的
なものにとどまるということの一事をもって不法行為による被侵害利益たり得
ないと解することが相当でないことはいうまでもない。一方で,違憲又は違法
な宗教的活動がされた場合であっても,その活動によって直接的物理的に干渉
を受ける者でない者が自己の信条と異なることから不快感を覚
え,あるいは自己の経験から過去が想起されるなどして苦痛や不安,危快感等を
抱き,又は当該宗教的活動につき甚だ不適切な行為として憤りを感じたとしても,
およそそれらが一般に不法行為の被侵害利益として賠償の対象になると解するこ
とはできない(そのように解すれば,」婚償の範囲が余_りに広範になり過ぎ,
不法行為による損害賠償ないし国家賠償制度自体が維持できなくなるものという
べきである。)。したがって,原告らの主張するような人格的な利益は,それが
ただちに法的に保護すべき利益であってその侵害が不法行為に当たるとはいえな
いものの,そのような利益を主張する者の立場,当該宗教的活動による影響の程
度,侵害の態様いかんにより,単なる不快感,嫌悪感等の域を超え,個々人の具
体的な利益を侵害されたと認められる場合には不法行為も成立し得,それによる
損害の発生も観念し得るものと解するのが相当である。
これを本件についてみると,前示のとおり,本件参拝によって,原告らが,不
安感,不快感,憤り,危倶感,圧迫感などを抱いたことは認め得るものの,本
件参拝は,内閣総理大臣が靖国神社を訪れ,「内閣総理大臣小泉純一郎」と記
帳し,同様の名札を付した献花をした上,本殿において一礼方式によって参拝
したというものであり,その行為の性質上,他者に対する影響の度合いは限定.
的なものといわざるを得ないものであり,原告らの立証した前記の諸感情が相
当に強度のものとは認め得るものの,なお本件参拝により賠償の対象となり得
るような法的利益の侵害があったものということはできず,本件参拝について
不法行為の成立を認めることはできない。
(カ))まとめ
以上より,本件参拝によって原告らの法律上保護された具体的な権利ないし利
益が侵害されたということはできないから,被告らに対する損害賠償請求は理
由がない。
3 結論
以上の次第であって,原告らの被告らに対する本件請求は,いずれも理由がな
いから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。
なお,前記のとおり,当裁判所は,本判決において,本件参拝につきその違憲
性を判断しながらも,結論としては,本件参拝によって原告らの法律上保護さ
れた権利ないし利益が侵害されたということはできず,不法行為は成立しない
として原告らの請求をいずれも棄却するものであり,あえて本件参拝の違憲性
について判断したことに関しては異論もあり得るものとも考えられる。
しかしながら,現行法の下においては,本件参拝のような憲法20条3項に反す
る行為がされた場合であっても,その違憲性のみを訴訟において確認し,又は
行政訴訟によって是正する途もなく,原告らとしても違憲性の確認を求めるた
めの手段としては損害賠償請求訴訟の形を借りるほかなかったものである。一
方で,靖国神社への参拝に関しては,前記認定のとおり,過去を振り返れば数
十年前からその合憲性について取り沙汰され,「靖国神社法案」も断念され,
歴代の内閣総理大臣も慎重な検討を重ねてきたものであり,元内閣総理大臣中
曽根康弘の靖国神社参拝時の訴訟においては大阪高等裁判所の判決の中で,憲
法20条3項所定の宗教的活動に該当する疑いが強く,同条項に違反する疑いが
あることも指摘され,常に国民的議論が必要であることが認識されてきた。し
かるに,本件参拝は,靖国神社参拝の合憲性について十分な議論も経ないまま
なされ,その後も靖国神社への参拝は繰り返されてきたものである。こうした
事情にかんがみるとき,裁判所が違憲性についての判断を回避すれば,今後も
同様の行為が繰り返される可能性が高いというべきであり,当裁判所は,本件
参拝の違憲性を判断することを自らの責務と考え,前記のとおり判示するもの
である。
(口頭弁論の終結の日 平成16年1月13日)
福岡地方裁判所第5民事部
裁判長裁判官 亀 川 清 長
裁判官 森 倫 洋
裁判官 向 井 敬 二
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